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2026/01/21
#NotInventedHere #組織文化 #変化を受け入れる
Not Invented Here(ノット・インベンテッド・ヒア)とは、「それは自分たちが作ったものではない」という理由だけで、外部のアイデアや仕組みを拒絶してしまう心理や組織文化を指す言葉だ。
この姿勢は一見、自立心や誇りの表れにも見える。
しかし実際には、成長のスピードを落とし、学習の機会を狭め、結果として孤立を深めてしまうことが多い。
世界にはすでに試され、磨かれ、証明された知恵が無数に存在している。
それらを「自分たちのものではない」という理由だけで遠ざけるのは、扉の前で目を閉じるような行為かもしれない。
本当に大切なのは、誰が作ったかではなく、それが何をもたらすかだ。
まずは完全コピーで実行し、そのあと借りた知恵を自分なりに咀嚼し、再解釈し、血肉に変えることで、初めて“自分たちのもの”になる。
プライドは守るためにあるのか、それとも未来を切り開くためにあるのか。
あなたは今、どんな「Not Invented Here」を抱え込んでいないだろうか?
2026/01/20
#バイアス #記憶の偏り #思考の癖
“Steered by Memory”
歳を重ねるほど、人はバイアスに支配されやすくなるように感じる。
それは決して不思議なことではない。年輪を重ねるごとに、経験は蓄積され、知識は増え、判断のスピードも上がっていく。
しかし、そのすべてを均等に覚え、同じ温度で保存しておくことは難しい。
人の記憶は選別され、強く印象に残った側、つまり「偏った経験」だけが残りやすい。
楽しい成功体験、痛烈な失敗、強烈な言葉や感情。それらは年数とともに層をなし、その人なりの世界の見え方を固定していく。
僕自身は比較的楽観主義で、うまくいった記憶や前向きな結果が残りやすい。
そのため、自然と「なんでも挑戦してみよう」という方向にバイアスがかかっているように思う。
しかし逆に、失敗や否定、恐れの記憶が強く残る人は、同じ現実を見ていても、慎重さや悲観に引っ張られるかもしれない。
そう考えると、僕らが「性格」や「考え方」だと思っているものは、果たして自分で選んだものなのだろうか。
それとも、記憶の偏りが作り出した、ひとつの幻想に過ぎないのだろうか?
2026/01/19
人を見下すような言葉を投げかけてくる人がいる。
頭では、相手にしなければいいと理解している。
それでも胸の奥がざわつき、感情が揺さぶられ、ついムキになってしまう瞬間がある。
言い返せば、一時的には気が晴れるかもしれない。
しかし、その爽快感は長く続かず、争いは簡単で、そこに自分の成長はないことも分かっている。
本当に守りたいのは、相手を打ち負かすことではなく、自分自身の価値観や在り方を裏切らない選択だ。
怒りを感じることは弱さではない。それは人として自然な反応であり、心がまだ生きている証でもある。
ただ、その感情に主導権を明け渡した瞬間、相手と同じ土俵に立ってしまう。
だから必要なのは、感情を否定することでも、無理に抑え込むことでもない。
「今、自分は試されている」と一歩引いた視点を持つこと。
反射的に反応するのではなく、意識的に選択する姿勢。
それこそが、自分を少し高い場所へ連れていく心のあり方なのではないだろうか。
2026/01/18
自信を持つこと自体は、決して悪いことではない。
むしろ自分を信じられる人は、周囲に安心感や頼もしさを与える存在になり得る。
ただ、その自信が自慢話として表に出た瞬間、人は距離を取り始める。
成功や実績を誇示されるほど、聞き手は「すごい」よりも「もういい」と感じてしまうものだ。
一方で、本当に自信に満ちている人は、不思議とそれを前面に出さない。
過去の失敗や弱さ、自分でも笑ってしまうようなエピソードを交えながら、経験を語る。
そこには余裕があり、人としての温度がある。だからこそ、人はその人の話に耳を傾け、自然と集まってくるのだろう。
逆に、過剰に自慢してしまう人を見ると、僕には本当の意味で自分を信じ切れていないように映る。
自慢は自信の証明ではなく、不安の裏返しなのではないだろうか。
では、本当の自信とは、どんな振る舞いの中に表れるのだろうか?
2026/01/17
#インプットアウトプット #行動の哲学 #気づきを形に
“Turning awareness into action”
人は日々、さまざまな刺激を受けながら生きている。
本や映画、音楽、誰かとの会話、街で見かけた一瞬の風景。
その中には、心を揺らす「良いインプット」が確かに存在する。
しかし、その感動や気づきは、何もしなければ驚くほど早く薄れていく。
だからこそ、刺激を受けた瞬間に「行動すること」が大切だと思っている。
それは大げさなことでなくていい。言葉にして書き留める、誰かに話す、作品にする、SNSに投げる。
アウトプットという行為は、体験を自分の中に定着させ、血肉に変えるための儀式のようなものだ。
特に良いインプットほど、時間を置かず、なるべく早く外に出すことで、その鮮度と熱量を保てる。
この「インプットしたらすぐアウトプットする」という姿勢は、僕の人生を支える大切なルールの一つになっている。
体験をただ消費するのではなく、自分の言葉や行動に変えて初めて意味を持つのだと信じているからだ。
では、次に僕たちが心を動かされた瞬間、何をアウトプットするだろうか?
2026/01/16
#チャンスの正体 #出会いが人生をつくる #誰かのおかげ
僕は、これまで本当にたくさんの人からチャンスをもらってきた。
それは「仕事」や「役割」といった、形のある有機質なものだけではない。
ふとした一言だったり、背中を押してくれた沈黙だったり、
考え方そのものを揺さぶるような視点との出会いだったりもする。
当時はそれがチャンスだと気づかず、
ただ流れる時間の中で受け取っていたものも多い。
けれど振り返ってみると、
その一つひとつが確かに僕の進む方向を変え、
今日の僕を形づくる重要な要素になっていた。
人は一人では成長できない。
誰かがくれた余白、誰かが示してくれた可能性、
誰かが信じてくれた「まだ見ぬ自分」。
それらは今も色褪せることなく、
僕の中で静かに、しかし確かに輝く宝物として息づいている。
では僕は、
次に誰のどんな可能性に、
チャンスを手渡す側になれるのだろうか?
2026/01/15
時間がない、と感じる日々が続くほど、誰とその時間を過ごすかが、以前にも増して重要に思えてくる。
限られた時間の中で、ただ予定をこなすのではなく、「この話をしよう」「この人の話を聞きたい」と思える相手に会う時間を選びたい。
そこには、義務ではなく期待があり、消費ではなく投資がある。
大切な時間を、大切だと思える仲間に使うこと。それは自分の人生を、どんな価値観で編んでいくかという選択でもある。
忙しいから会えないのではなく、忙しいからこそ会いたい人がいる。そんな感覚を、これからも手放したくない。
同時に、自分自身も「時間を使ってでも会いたい」と思ってもらえる存在でありたいとも思う。
その人と話すことで、何かが前に進んだり、心が少し軽くなったり、明日が楽しみになったりする。
そんな影響を与えられる人でありたい。
あなたは、限られた時間を、誰に、どんな想いで使っていますか?
2026/01/14
自分に嘘をつく瞬間には、たしかに理由がある。
守りたいものがあったり、今は向き合えない現実があったり、誰かを傷つけないための選択だったりする。
その場では、それが最善だと思えてしまうことも多い。
けれど、その嘘は消えてなくなるわけではなく、心の奥に静かに残り続ける。
時間が経つにつれ、理由はぼやけ、嘘だけが輪郭を持ちはじめる。
そしてふとした瞬間に、自分自身が自分を裏切っているような感覚に襲われる。
誰にも責められていないのに、なぜか息苦しい。
それは心が、本当の自分との距離を測り続けているからなのかもしれない。
嘘をついた自分を守るために、さらに嘘を重ねる前に、一度立ち止まることはできないだろうか。
本当は、何から逃げていたのだろうか?
2026/01/13
人はつい、何かを与えられるのを待ってしまう。
環境が整うのを、誰かが声をかけてくれるのを、チャンスが向こうから来るのを。
けれど、待っているだけでは何も始まらない。
むしろ、自分から与える側に回ることの方が、ずっと難しく、ずっと勇気がいる。
与えるといっても、お金や時間のような分かりやすいものだけではない。
知恵でも、経験でも、言葉でも、気遣いでもいい。相手にとって少しでも役に立つ何かを、先に差し出すこと。
その行為自体が、人をほんの少し成長させるのではないかと思う。
もちろん、それは簡単なことではない。頭では理解していても、完璧に実行できる人は少ない。
僕自身も、意識はしているが、常にできているとは言えない。
それでも、せめて「誰かのために何かをしよう」と意識する人が増えたなら、世界は少しずつ変わっていくのではないだろうか。
与えることから始まる循環は、果たして僕たちにどんな未来を連れてきてくれるのだろうか?
2026/01/12
眠りにつく前、僕はいつも明日のことを思い浮かべる。
それは大きな夢や野心ではなく、ごく小さな楽しみだ。
明日、あの食材をこう調理したらきっとおいしいだろうとか、
仕事の合間に、前から気になっていたあの文章を読もうとか。
もちろん、頭の中の大半は翌日のミッションで埋め尽くされている。
段取りを組み、時間配分を考え、抜け漏れがないかを確認する。
少し気持ちを張り詰めながら、効率よく、前向きに明日を迎えようとする自分がいる。
けれど、それだけでは心がどこか満たされない。
義務や目標だけで一日を構成すると、達成感はあっても余白がない。
だからこそ、ほんの少しの楽しみが必要なのだ。
それはご褒美というほど大げさなものではない。
ただ「楽しみにしていい」と自分に許可を与えるような、小さな灯りだ。
その小さな楽しみがあるだけで、明日は少しだけ優しくなる。
一日は単なるタスクの連続ではなく、味わうべき時間へと変わっていく。
さて、明日の僕は、どんな小さな楽しみを抱えて目を覚ますのだろうか?
2026/01/11
歳をとると物覚えが悪くなる。だからこそ若いうちに勉強しておいた方がいい。
これは多くの人がうなずく正論だろう。
記憶力や反射神経、吸収の速さは確かに若さの特権かもしれない。
しかし今、50歳を超えて大学生となった私は、少し違う景色を見ている。
確かに一度で覚えられないことは増えた。だがその代わり、これまで積み重ねてきた経験が、新しい知識を支える土台になっている。
点だった知識が、過去の仕事や人生経験と結びつき、線になり、やがて面になる瞬間が何度も訪れる。
若い頃には見えなかった「意味」や「背景」が、学びの中で立ち上がってくるのだ。
勉強への意欲は、年齢と反比例するものではない。
むしろ年を重ねたからこそ、学ぶ理由が明確になり、学びは深くなる。
幾つになっても勉強したい、何かを始めたい。
そう思ったその瞬間こそが、人生における本当のチャンスなのではないだろうか。
2026/01/10
人は、痛いところを突かれると、つい感情的になってしまう。
冷静でいようと思っていたはずなのに、声が強くなったり、必要以上に反論したりする。
それは、その言葉が単なる意見ではなく、自分の中にある「見ないようにしていた部分」や「触れられたくなかった弱さ」に当たるからだ。
人は自分を守るために、無意識のうちに鎧を着て生きている。
正しさ、立場、プライド、過去の選択。そこに触れられると、自分そのものを否定されたような錯覚が生まれる。
だから怒りは、相手への攻撃というより、自分を守るための反射反応なのかもしれない。
では、痛みを感じた瞬間に向きになるのは、本当に弱さなのだろうか。
それとも、自分を大切にしている証なのだろうか?
2026/01/09
単に何かを経験しただけでは、それはまだ自分の財産にはならない。
日々の出来事や挑戦は、通り過ぎてしまえばただの記憶として薄れていく。
しかし、その経験から「何を感じたのか」「何に気づいたのか」を言葉にし、次にどう活かすかを考えたとき、初めて価値を持ち始める。
学びとは偶然に得られるものではなく、意識的に掴みにいくものだ。
失敗も成功も一度振り返り、改善点を見つける。
そして改善を前提に再び計画を立て、実行し、評価し、また改善する。
この繰り返しがPDCAサイクルであり、僕たちを少しずつ前へ進めてくれる。
経験を「消費」で終わらせるか、「資産」として積み上げるか。
その分かれ道は、立ち止まって考える時間を持てるかどうかにかかっているのではないだろうか。
あなたは今日の経験から、どんな学びを未来に残そうとしているだろうか?
2026/01/08
仕事というものは、成果物や数字だけが評価されがちだ。
でも実際には、その裏側に無数の役割と小さな行動が積み重なっている。
企画を考えた人、必要なものを買い出しに行った人、難しい相手を説得してくれた人、空気が重いときに場を和ませてくれた人。
どれか一つ欠けても、プロジェクトは完成しなかったはずだ。
もし映画のエンドロールのように、プロジェクトが終わるたびに関わった全員の名前と役割が流れ、拍手と賞賛を受けられたらどうだろう。
主役だけでなく、脇役も裏方も、等しく光を浴びる世界。
そんな仕組みがあれば、人はもっと誇りを持って仕事ができるし、チームはもっと温かくなる。
僕たちの仕事の終わりに、そんなエンドロールが流れたとしたら、景色はどう変わるだろうか?
2026/01/07
#一秒の力 #時短思考 #時間の複利
“One Second Changes Everything”
「こうすれば時短になる」という提案に対し、「時間がないからできない」と返す人は驚くほど多い。
だがそれは、冷静に考えると矛盾を含んでいる。本当に時間がないのであれば、最優先で取り組むべきは、時間を生み出す工夫のはずだ。
効率化や改善は、余裕がある人の贅沢ではない。むしろ、追い込まれている人ほど必要な行為だ。
もし今日、一秒だけ時間を短縮できたらどうだろう。明日は24時間ではなく、24時間と1秒で動ける。
その一秒は余白となり、考える力を生み、次の改善を呼び込む。やがて一秒は二秒に、二秒は一分へと姿を変えていく。
時間は直線的には増えない。
良い選択を重ねた分だけ、複利のように膨らんでいく。
私たちは皆、平等に24時間を与えられている。差が生まれるのは、その中で一秒を拾うか、見送るかの違いだけだ。
小さな時短は、やがて一日になり、一週間分の余白になる。
では今日、僕たちは未来のために、たった一秒を生み出せただろうか?
2026/01/06
反対意見は、実はとてもありがたい存在だ。
自分と違う視点は、普段の思考では見えない景色を見せてくれる。
賛成ばかりの世界では安心はできるが、成長は止まってしまう。
だからこそ、反対意見から学べることは本当に多い。
ただ、それを真正面から受け止めるには、少し勇気がいる。
反対意見は、ときに自分の未熟さや弱さを突きつけてくるからだ。
勇気が足りないと、人は無意識に心を閉ざしてしまう。
耳には入っていても、心では拒絶してしまう。
正直に言えば、僕はまだ半分くらいしか飲み込めていない。
理解したつもりでも、どこかで自分を守っている。
それでも、反対意見を拒まなかった半分の自分は、確かに前に進んでいる。
だからこそ思う。
もっと大きな心を持つ男になれたら、世界はどんなふうに見えるのだろうか?
2026/01/05
僕が心から信用している後輩たちは、耳に心地いい言葉だけを並べる人たちではない。
言いにくいことでも、必要だと思えばきちんと伝えてくれる人だ。
もちろん、最低限の配慮や敬意はそこにある。感情をぶつけたいわけではなく、関係を壊したいわけでもない。
ただ、良くなるために本音を選んでいる。
一方で、僕にとって都合のいいことばかりを言う人は、どうしても信用しづらい。
褒め言葉は嬉しいが、それだけでは成長は止まってしまう。
むしろ、自分の弱さや甘さ、逃げている部分をズバッと突いてくる人の方が、ずっと信頼できる。
本音は辛い。聞いた瞬間は胸に刺さるし、逃げたくもなる。
だが、その言葉は時間が経っても消えず、人生のどこかで必ず自分を支えてくれる。
一方で、嘘やお世辞は甘いが、すぐに飽きてしまうし、何も残らない。
これは僕が大切にしている哲学の一つだ。
あなたは、甘い嘘と痛い本音、どちらを人生に残したいだろうか?
2026/01/04
#今この瞬間 #人生は待ってくれない #一番若いのは今
“Only Now”
人生の寿命がいつ尽きるのか、誰にも正確にはわからない。そんな不確かな時間の中で、
「明日まで待つ」という発想自体が、実はとても贅沢なのかもしれない。
待てたとしても、せいぜい「飯を食ってから」くらいが限界だ。
何かを始めるきっかけは、正月や誕生日のような区切りのいい日である必要はない。
箸を落としたその瞬間でも、時計をふと見たその一秒でも、本質的には何も変わらないはずだ。
以前、大学の先生が「“今”が一番暇だ」と語っていたのを思い出す。
その言葉は、忙しさを理由に先延ばしする自分への、静かな警告のようにも聞こえる。
今年の初め、居酒屋で隣に座っていた若者が、仲間に向かって「今この瞬間が一番若いんだ!!」と熱弁していた。
その言葉がやけに胸に残った。
過去より若い瞬間はもう来ないし、未来は保証されていない。
だからこそ、行動できる唯一の時間は、常に「今」しかないのだと痛感する。
では、あなたはこの“今”を、何に使うのだろうか?
2026/01/03
#自分を信じる #やり切る覚悟 #自己信頼
I want to give it my all
自分自身を心の底から信用できるようになりたい、そんな願いが胸の奥にある。
それは他人からの評価や結果ではなく、「ここまでやった」と自分で言い切れる状態を求めているのだと思う。
もうこれ以上、言い訳も後悔も浮かばないほど、時間も気力も注ぎ込み、
逃げ道をすべて塞いだ感覚。努力の量ではなく、覚悟の密度が満ち切った状態。
「まだできたはず」という声が消え、「これが今の自分の全てだ」と静かに受け入れられる境地。
そこに至れたとき、初めて自分を疑う必要がなくなり、外の声にも振り回されなくなるのだろう。
では、いまの自分は本当に、そこまでやり切ったと言えるだろうか?
2026/01/02
【悔い残す 刹那が刺さる 勝負前】
#勝負の哲学 #積み重ね #後悔しない準備
いざ勝負の場に立ったとき、人は自分に嘘をつけない。
「あの時、もう少し練習しておけばよかった」「本気を出し切れなかった日があったな」──
そんな記憶が頭をよぎる瞬間、集中は一気に崩れる。
勝負は相手との戦いである前に、過去の自分との対話だ。
積み重ねてきた時間が胸を張れるものなら、迷いは力に変わる。
しかし、どこかで逃げた記憶があれば、それは不安として牙をむく。
本番の一瞬は、これまでの日々を映す鏡だ。
努力は裏切らないという言葉は、正確には「努力した自分だけが自分を裏切らない」という意味なのかもしれない。
だからこそ、今日の取り組み方が未来の自分を助ける。
僕たちは、勝負の瞬間に胸を張って立てる準備を、今日できているだろうか?
2026/01/01
映画やスポーツ、偉人の物語を観ていると、登場人物が積み重ねてきた努力や、乗り越えてきた挫折、つかみ取った成功に、心がまっすぐ動かされる。気づけば涙がこぼれ、こんな生き方をしてみたいと、純粋な憧れを抱いている自分がいる。
そこには計算も比較もなく、ただ「すごい」と思える感情がある。
しかし現実に目を戻すと、状況は変わる。すぐ近くにいる人が評価されたり、夢に近づいていたりすると、同じようには感動できない。祝福したい気持ちは確かにあるのに、それより先に、胸の奥にざらりとした嫉妬や焦りが湧き上がってくる。
遠くにいる、決して追いつけない存在には素直に憧れられるのに、距離が近いほど、無意識に張り合ってしまう。比べなくていいはずなのに、気づけば自分が負けているような気がしてしまう。そしてそんな自分を見て、「なんて愚かな人間なんだろう」と責めてしまう。
けれどこれは、他人が憎いからでも、心が歪んでいるからでもなく、自分自身をまだ信じきれていない表れなのかもしれない。
もし揺るがない自信があったなら、近くの誰かの輝きも、素直に美しいと感じられるのではないだろうか。
この感情は、僕が変わるための入口なのだろうか?
